東京都豊島区
慈眼寺の著名人の墓
3件の墓所を、写真と来歴つきで紹介します。
豊島区巣鴨にある日蓮宗の寺。もとは深川にあり、1912年(明治45年)に現在の地へ移った。染井霊園のすぐ隣にあり、墓地には芥川龍之介、谷崎潤一郎、絵師の司馬江漢、吉良家の家老・小林平八郎らの墓がある。境内の案内板に墓の位置が示されている。
- 所在地
- 東京都豊島区巣鴨5丁目35-33
慈眼寺に眠る人々(3件)
墓所番号は「1種イ5号1側」のように、種別・号・側の順で示しています。番号の順に並べています。参拝した当時の記録のため、現地の案内図もあわせてご確認ください。

司馬江漢
絵師・蘭学者 1747–1818
墓所番号:イ之九側
江戸時代後期の絵師・蘭学者。はじめ鈴木春信に学んで鈴木春重の名で浮世絵を描き、のち写生的な画風や西洋画法を学んだ。1783年、日本で初めて腐食銅版画(エッチング)の制作に成功し、油絵も手がけた。長崎に旅して見聞を広め、世界地図や天文図を刊行して地動説など西洋の科学を紹介した。墓は都の旧跡に指定されている。

小林平八郎
吉良家家老 ?–1703
墓所番号:イ之九側(司馬江漢の墓の右隣)
高家・吉良上野介義央に仕えた家老。名は央通。元禄15年12月(1703年1月)、赤穂浪士が吉良邸に討ち入った夜に命を落とした。芝居や映画の「忠臣蔵」では、女物の小袖をかぶり二刀をふるって奮戦する吉良方随一の剣客として描かれることが多い。慈眼寺では司馬江漢の墓の隣に墓がある。葛飾北斎の曽祖父とする言い伝えもある。

芥川龍之介
小説家 1892–1927
墓所番号:ハ之三側
東京生まれの小説家。東京帝国大学在学中に発表した「鼻」を夏目漱石に激賞されて文壇に出た。「羅生門」「地獄変」「蜘蛛の糸」「杜子春」「河童」など、古典や説話に材をとった切れ味のよい短編を数多く残した。1927年、「ぼんやりした不安」という言葉を残して35歳で自ら命を絶った。その名は芥川賞に残る。墓石は愛用の座布団と同じ寸法という。