東京都豊島区
本妙寺の著名人の墓
5件の墓所を、写真と来歴つきで紹介します。
豊島区巣鴨にある法華宗陣門流の寺。江戸時代は本郷丸山にあり、1657年の明暦の大火(振袖火事)の火元と伝えられてきた。明治の末に現在の地へ移った。境内には明暦の大火の供養塔のほか、「遠山の金さん」こと遠山景元、剣豪・千葉周作、棋聖・天野宗歩、囲碁の本因坊家歴代、関宿藩主・久世家の墓がある。
- 所在地
- 東京都豊島区巣鴨5丁目35-6
本妙寺に眠る人々(5件)

千葉周作
剣術家・北辰一刀流の開祖 1793?–1856
江戸時代後期の剣術家。陸奥国の生まれで、名は成政。家に伝わる北辰夢想流と、江戸で修めた一刀流を合わせて北辰一刀流を創始した。神田お玉が池に開いた道場・玄武館は、わかりやすい指導で人気を集め、「江戸三大道場」の一つに数えられた。水戸藩にも剣術師範として招かれた。門下からは清河八郎、山岡鉄舟らが出ている。

天野宗歩
将棋棋士・「棋聖」 1816–1859
江戸時代末期の将棋指し。5歳で大橋本家に入門し、早くから才能を示した。段位は七段だったが、家元の出でなかったため名人にはなれなかった。しかし実力は群を抜き、「実力十三段」と称えられ、のちに「棋聖」と呼ばれた。現在のタイトル戦「棋聖戦」の名はこれにちなむ。角の使い方の名手として知られ、多くの弟子を育てた。

久世大和守歴代
下総関宿藩主・久世家
下総国関宿藩主・久世家の墓所。初代の久世広之(1609–1679)は将軍・徳川秀忠、家光の小姓から身を起こし、4代・家綱のもとで若年寄、老中を務めて関宿5万石の大名となり、大和守を名乗った。久世家はその後も老中を出した譜代大名で、本妙寺の開基にもかかわった家である。本堂のそばに歴代の大きな墓石が並ぶ。

遠山金四郎景元
江戸町奉行・「遠山の金さん」 1793–1855
江戸時代後期の旗本。通称は金四郎。勘定奉行などを経て1840年に北町奉行となった。天保の改革では、庶民の暮らしを締めつける老中・水野忠邦や鳥居耀蔵の方針に異を唱え、芝居小屋の取りつぶしを防いだと伝わる。いったん職を離れたが、のち南町奉行に返り咲いた。桜吹雪の入れ墨で知られる「遠山の金さん」のモデルである。墓は都の旧跡。

本因坊歴代
囲碁の家元・本因坊家
囲碁の家元四家の筆頭・本因坊家の歴代の墓。初代・算砂は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕え、江戸幕府から最初の「碁所」に任じられた。以後、道策、丈和、秀策ら多くの名手を出した。本妙寺には四世・道策から二十一世・秀哉までの墓がある。最後の家元・秀哉が名跡を日本棋院に譲り、いまは本因坊戦の優勝者がその名を継ぐ。