千葉県船橋市
宝成寺の著名人の墓
4件の墓所を、写真と来歴つきで紹介します。
船橋市西船にある曹洞宗の寺。江戸時代の初めにこの地を治めた栗原藩主・成瀬家の菩提寺で、のちに尾張藩の附家老として犬山城主となった成瀬家の人々の墓も並ぶ。大きな墓石群は市の文化財になっている。
- 所在地
- 千葉県船橋市西船6-2-30
宝成寺に眠る人々(4件)

成瀬之虎
下総栗原藩3代藩主(成瀬正成の孫) 1634–1638
下総国栗原藩(現在の千葉県船橋市)の第3代藩主。犬山城主・成瀬正成の孫で、之成の子にあたる。父の死により、わずか1歳で家督を継いだが、5歳で亡くなった。後継ぎがなかったため栗原藩は廃藩となり、成瀬家の分家は絶えた。

成瀬之成
下総栗原藩2代藩主(成瀬正成の次男) 1596–1634
下総国栗原藩の第2代藩主。尾張藩の附家老で犬山城主となった成瀬正成の次男。父が尾張藩の附家老となって犬山へ移ったあと、栗原の領地を受け継いで幕府に仕えた。宝成寺は成瀬家の菩提寺で、境内に一族の大きな墓石が並んでいる。

成瀬正賢
犬山成瀬家6代・正典の長男(世嗣) 1760–1798
尾張藩の附家老で犬山城主であった成瀬家の第6代・正典の長男。後継ぎとして従五位下・信濃守に叙されたが、家督を継ぐ前に39歳で亡くなった。このため弟の正壽が後継ぎとなり、のちに第7代当主となった。宝成寺の成瀬家墓所に墓がある。

成瀬正壽
犬山成瀬家7代・犬山城主 1782–1838
尾張藩の附家老・犬山城主成瀬家の第7代当主。兄・正賢の早世により後継ぎとなり、1809年に家督を継いだ。尾張藩から離れて独立した大名になることを強く望み、幕府に働きかけたが実現しなかった。オランダ商館長と交流した蘭学好きとしても知られる。