東京都世田谷区
豪徳寺の著名人の墓
5件の墓所を、写真と来歴つきで紹介します。
世田谷区豪徳寺にある曹洞宗の寺で、彦根藩主・井伊家の江戸における菩提寺。2代藩主・直孝が猫に招かれて雷雨を避けたという伝説から「招き猫」発祥の地の一つとされる。国史跡の井伊家墓所には、直孝や幕末の大老・直弼ら歴代の墓が整然と並ぶ。
- 所在地
- 東京都世田谷区豪徳寺2-24-7
豪徳寺に眠る人々(5件)

井伊直孝
2代 1590–1659
井伊直政の次男で、近江国彦根藩主。大坂の陣で大きな武功を立て、兄に代わって井伊家を継いだ。3代将軍・家光、4代・家綱を支える幕府の重鎮となり、彦根藩を30万石に育てた。鷹狩りの帰りに猫に招かれて雷雨を避けたという豪徳寺の「招き猫」伝説で知られる。

井伊直恒
6代 1693–1710
近江国彦根藩主。井伊直興の子。1710年、兄・直通の死を受けて家督を継いだが、藩主となってわずか50日ほどで、18歳の若さで没した。このため、隠居していた父・直興が再び藩主の座に戻ることになった。代数は数え方により6代とも7代ともされる。
- 写真なし
井伊直禔
9代 1727–1754
近江国彦根藩主。井伊直惟の子。叔父・直定の養子となって1754年に家督を継いだが、藩主となって2か月ほどで、28歳で病没した。このため養父の直定が再び藩主に戻った。弟にのちの大老・井伊直幸がいる。代数は数え方により9代とも11代ともされる。

井伊直憲
14代 1848–1902
近江国彦根藩の最後の藩主。大老・井伊直弼の次男。父が桜田門外で暗殺されたため、13歳で家督を継いだ。藩は幕府から領地を減らされるなど苦しい立場に置かれ、戊辰戦争では新政府側についた。明治以後は欧米に留学し、伯爵、貴族院議員となった。

井伊直弼
1815–1860
近江国彦根藩主で、幕末の大老。藩主の十四男に生まれ、長く不遇の暮らしを送ったのち家督を継いだ。大老として朝廷の許しを得ないまま日米修好通商条約に調印し、反対する人々を「安政の大獄」で厳しく処罰した。1860年、江戸城の桜田門外で水戸浪士らに暗殺された。