鹿児島県鹿児島市
南洲墓地の著名人の墓
5件の墓所を、写真と来歴つきで紹介します。
鹿児島市上竜尾町にある、西南戦争で亡くなった薩軍の人々の墓地。桜島を望む高台に、西郷隆盛を中心に、桐野利秋、篠原国幹、村田新八、別府晋介ら2,000人を超える将兵の墓が並ぶ。隣には西郷を祀る南洲神社がある。
- 所在地
- 鹿児島県鹿児島市上竜尾町2-1
南洲墓地に眠る人々(5件)

西郷隆盛
1828–1877
薩摩藩の下級武士の家に生まれた。藩主・島津斉彬に見いだされ、薩長同盟を結んで倒幕を進めた。戊辰戦争では勝海舟と話し合って江戸城の無血開城を実現した。新政府でも重い役についたが、朝鮮への使節派遣をめぐって政府を去り、1877年の西南戦争に敗れて城山で自刃した。

別府晋介・桂久武
別府晋介(1847–1877)は薩摩藩士で桐野利秋のいとこ。西南戦争の最後、城山で西郷隆盛に頼まれて介錯をし、自らも戦死した。桂久武(1830–1877)は島津家の一門で薩摩藩の家老を務め、西郷の親友として西南戦争に加わり、同じ日に城山で戦死した。

篠原国幹・村田新八
篠原国幹(1837–1877)は薩摩藩出身の陸軍少将で、西南戦争では一番大隊長となり、吉次峠で戦死した。村田新八(1836–1877)は岩倉使節団に加わって欧米を見聞し、将来を期待された人物。西郷に従って戦い、城山で戦死した。

桐野利秋
1839–1877
薩摩藩士。初めの名は中村半次郎で、幕末には「人斬り半次郎」と恐れられた剣の使い手。戊辰戦争で功を立て、明治政府の陸軍少将となった。西郷隆盛とともに政府を去り、鹿児島で私学校の指導にあたった。西南戦争では西郷軍の中心となって戦い、城山で戦死した。

大山格之助
1825–1877
薩摩藩士(大山綱良)。剣の達人で、1862年の寺田屋事件では藩命を受けて同じ藩の急進派をしずめた。維新後は初代の鹿児島県令となり、西郷隆盛の私学校を助けた。西南戦争で県の公金を西郷軍に提供したためとらえられ、戦後、長崎で処刑された。