東京都文京区
護国寺の著名人の墓
4件の墓所を、写真と来歴つきで紹介します。
文京区大塚にある真言宗豊山派の大本山。5代将軍・徳川綱吉が母・桂昌院の願いで建てた寺で、本堂は元禄時代の建築。明治以後、墓地には大隈重信、山県有朋、三条実美ら政治家や実業家の墓が多く営まれた。盛岡藩主・南部家の墓所もある。
- 所在地
- 東京都文京区大塚5-40-1
護国寺に眠る人々(4件)

大隈重信
(8代、17代) 1838–1922
佐賀藩出身の政治家・教育者。明治政府で通貨「円」の制定や鉄道の建設を進めた。政変で政府を追われたあと立憲改進党をつくり、1882年に東京専門学校(現・早稲田大学)を創立した。1898年と1914年の2度、内閣総理大臣(第8・17代)を務めた。

田中光顕
1843–1939
土佐藩出身の志士・政治家。武市半平太の土佐勤王党に加わり、脱藩して中岡慎太郎の陸援隊で活動した。維新後は陸軍少将、警視総監、学習院長などを経て、11年にわたり宮内大臣を務めた。晩年は維新の志士の遺品収集や顕彰に努め、95歳で没した。

南部利剛
40代 1827–1896
盛岡藩の第14代藩主。利済の子で、兄・利義の隠居後に家督を継いだ。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に加わって新政府軍と戦い、敗れて隠居・謹慎を命じられた。家名は子の利恭に継がせることが許され、維新後は東京で余生を送った。

南部利恭
41代 1855–1903
盛岡藩の最後の藩主。利剛の子。戊辰戦争に敗れて父が隠居したあと家を継ぎ、いったん白石へ移されたが、多額の献金を条件に盛岡へ戻ることを許された。しかし資金が続かず、全国に先がけて藩知事を辞職した。のち伯爵となった。