東京都文京区
吉祥寺の著名人の墓
4件の墓所を、写真と来歴つきで紹介します。
文京区本駒込にある曹洞宗の寺。江戸時代には学問所「栴檀林」が置かれ、多くの僧が学んだ。墓地には、箱館戦争を戦い明治政府でも活躍した榎本武揚、「妖怪」と恐れられた鳥居耀蔵、日本造船の父・赤松則良、二宮尊徳らの墓がある。
- 所在地
- 東京都文京区本駒込3丁目19-14
吉祥寺に眠る人々(4件)

榎本武揚
1836–1908
江戸生まれの幕臣・政治家。オランダに留学して海軍の技術や国際法を学んだ。戊辰戦争では幕府の艦隊を率いて箱館に渡り、五稜郭で新政府軍と戦って降伏した。赦されたのちは明治政府に仕え、ロシアとの樺太・千島交換条約を結び、逓信・文部・外務などの大臣を歴任した。

溝口直正
1855–1919
越後国新発田藩の第12代で最後の藩主。1867年に家督を継いだ。戊辰戦争では、まわりの藩から奥羽越列藩同盟への参加を迫られながらも、最終的に新政府軍に協力した。廃藩置県後は東京に移り、伯爵を授けられた。

鳥居耀蔵
1796–1873
江戸時代後期の旗本。儒学者・林述斎の子。目付として蘭学者を弾圧した「蛮社の獄」を主導し、老中・水野忠邦の天保の改革では南町奉行として厳しい取り締まりを行い、「妖怪」と恐れられた。改革の失敗後に失脚し、讃岐国丸亀で20年以上も幽閉された。

赤松則良
1841–1920
江戸生まれの幕臣・海軍軍人。長崎の海軍伝習所で学び、咸臨丸で太平洋を渡った。その後オランダに留学して造船学を修めた。明治政府では海軍の造船を指導し、横須賀造船所長、佐世保鎮守府の初代司令長官などを務め、「日本造船の父」と呼ばれる。森鷗外の最初の妻の父。